命のお話

お知らせ

生きとし生ける者の見送り坊主https://note.com/rensui/n/n3fd9b38853c5

目次
「生きる命と、死にゆく命を繋ぐ」
「 死骸の片づけと弔い 」
「 命に優劣はない 」
「オリジナルの葬儀」
「 バランスよく楽に生きる 」
「 信仰とは 」
「 生きていくことの苦悩や悲しみ 」
「 人生にとってマイナスと思えることは 」
「 子どもたちへ  」
「 命とは 不思議なもの 」

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「生きる命と、死にゆく命を繋ぐ」
生まれた時に、後継ぎとして既に道が決まっている。そういう世界はこの世の中に沢山あり、その重みと苦悩は、私のような者には計り知れない。もちろん、誰でも究極は自由であると思うけど。

浄土真宗本願寺派 僧侶 の彼は、「 生きとし生ける者の見送り人 」見送り坊主というネーミングがぴったりである。

そもそもお坊さんというものは、そういう役割なんだろうけれども、現代は仕事として葬儀の流れ通りに、ちゃっちゃちゃとこなしているお坊さんも多い。そういうお葬式にでると何だか仕事こなしてます的な感じで、がっかりさせられる。
見送り坊主さんは、いつ何時も全てに対して、見送り人としてそういう生き方をしている人だ。人間だけでけに限らず、命尽きたものをこの世から次の世に橋渡ししているように見える。本人にその自覚があるのか分からないし、またいつから、そういう働きをしていたのかは分からないが、私が出会った12年前には既に自然とこなされていた。

「 死骸の片づけと弔い 」
此処は、信州の最北。自然豊かな場所なので、森や動物との距離が近く、キツネやタヌキ、イノシシ、フクロウ、ウサギ、イタチ、モグラ、リス、鹿、クマ、など色んな動物を見かける。その分、夜の交通事故が多く、動物がひかれて死んでいたりするのはしょっちゅうなのだ。彼は、道端で車にひかれた動物たちを見つけたら、どんなに急いでいても必ず車を停め、ひかれた死骸を草や土の上に移動させ弔いをする。夜中に、懐中電灯を照らしながらひかれた動物を草むらによけている姿を目撃した人は、間違いなく彼がひいたと思うだろう。

「 命に優劣はない 」
見送り坊主さんと一緒にいると、ものすごい確率でひかれた動物や、ひかれて動けなくなった動物たちに出会う。何度ひかれた動物を保護したり、片付けたりしたことか。車に、「ゴム手袋と懐中電灯は常に用意しておくものだ」と、教えてもらったのも見送り坊主さんからである。死にかけたタヌキや、フクロウを保護したり、ひかれた猫を保健所へ連れて行ったり、数々のエピソードは尽きない。一度、房州の友人宅の帰りに一人で車を運転中、事故の直後に出くわした。その時「あと数分違えば自分だったかも」と思ったのと、即死だった人の顔が目に焼き付いてしまい、急に怖くなってしまったときがあった。その話をしたら「同じ死体で、タヌキと人間なにが違うんですか?」と言われ、つくづくそうだな~。本来、命に優劣はないものだな。でも、やっつぱり同種はドキドキする。

「オリジナルの葬儀」
そんな見送り坊主さんは、普段人間のお葬式もかなりオリジナルで、自らセレクトした曲を用意し、葬儀の後のお斎の時、遺族や参列者と一緒に歌を歌ったりするそうだ。そして、残された家族や、特に子供に「死は怖いものでも、汚らわしいものでもないよ。この命が尽きたら、目に見えない命になってずっと続いていくんだよ。」と丁寧に伝え続けている。彼のお葬式に参列した人はかなりラッキー。そんな見送り坊さんから以下お言葉を頂きました。

「 バランスよく楽に生きる 」
宗教とは、死生観、生命観、宇宙観である。

信仰を持たない人は自ら、それらを放棄している。現代は、学問や科学などを重要視しているが、そもそも人類の営みは智慧により出来ているのです。宗教と科学は対比するものではなく、本来同じもののはずである。

仏教は、学問的でもあり、科学、心理学、医学、哲学、健康など、あらゆる方向から人間の営みについて考えられた智慧の蓄積。全て積み重ね、私たちの命も、こうして繋がっているのです。

「 信仰とは 」
信仰を持つということは、自我を手放し全てを大いなるものに、委ねることです。

「 生きていくことの苦悩や悲しみ 」
自分が背負う、人生の思い通りにならない苦悩や、悲しみを大いなるものに委ねることで楽に生きることができる。そして、大いなるものとの対比により自分を客観的に、俯瞰的に見つめ、生き方のバランスをとることが出来てくるもの。

「 人生にとってマイナスと思えることは 」
人は、人生に起こる、病気、事故、災害、死をマイナスと捉え、それらを遠避けようとしますが、それらは、大いなるものによって自分や他者、この世の全ての繋がり、関係性によって必然的に起こるものであり、人生にとって必要なものである。

必要なことと思えたならば、それは負の要素にはならず、むしろ人生をより豊かで意味のあるものへと変えてくれる。

「 子どもたちへ  」
「 いのち 」とは、 生きることであり 死ぬことである。

生きているということだけが「 いのち 」ではなく。

死ぬということも、また「 いのち 」の一部である。

「 命とは 不思議なもの 」
命とは、捉えようのないものであり、私たちの理解をはるかに超えた不思議なもの。だからこそ素晴らしい。

「 なぜ 命が尊いのか? 」
たった一つしかないから、かけがいのないものだから・・・。というのは現代人の命のみかたです。

仏教的な生命観とは、この世の全ての命や物、出来事が繋がりあい、関わりあって起こり、存在している。

あなたの命もまた、そのように生かされている。

つまり、命はひとつではない。無数の命や出来事によって命とはあるものなのです。すべての命が繋がっているのです。

生きとし生ける者の見送り坊主さんの「 命 」のお話でした。ありがとうございました。お坊さんからの、こういうお話会とかあったらいいですね。子供たちへ聞かせてあげたいと思います。